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大阪高等裁判所 昭和35年(ラ)278号 決定

抗告人 債権者 長尾慶一

訴訟代理人 原井克已

被抗告人 債務者 株式会社矢倉鮨

訴訟代表者 豊津貞蔵

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりである。

本件においては、原決定が仮処分決定の執行のための取毀命令の申立を一部認容したのに対し、債権者の側で更に、原審で認容されなかつた申立の部分の認容を求めるのであつて、債務者の側よりは抗告がなかつたのであるから、原決定を抗告人(債権者)の不利益に変更することは許されない。従つて、いわゆる現状維持の仮処分の執行を受けた債務者が右仮処分に違反して、現状変更の行為をなした場合、右仮処分決定そのものに基いて、直ちに執行吏の手で附加物の除去その他変更個所の復旧をなし得るか、或は、取毀命令によるべきか、又は第二の更に強力な仮処分決定を得る必要があるかの問題に付ては判断を省略する。

仍て抗告理由に付て考察する。所論は要するに、仮処分決定の主文はその客観的表現に従い、厳格に解釈すべきものであるから、本件仮処分決定が、建物の現状を変更しないことを条件として債務者に使用を許したにすぎず、而も債務者に対し、現在施行中の模様替工事を中止すべく、これを続行してはならないことをも明言しているに拘らず、すし屋営業の継続に必要な最小限度の施工を許すべきものとした原決定は不当である、とするものである。しかしながら、現状不変更を条件として債務者に使用を許す仮処分決定の趣旨は執行吏の保管のままで、債務者に使用を許容すると共に、一面において債務者に対し現状を変更してはならないとの不作為義務を課したものと解するのが相当である。従つて本件仮処分決定の主文第四項には、重ねて、現在施行中の模様替工事を中止すべく、これを続行してはならないとの文言はあるが、之は同主文第二項の現状不変更を条件とする使用許可の命令中に包含されるもので、それ以上の特段の意味を持つものと謂うことはできない。それと共に、凡て裁判を解釈するについては必ずしもその主文の文言に形式的に拘泥すべきものではなく、その不完全な個所は出来る限り合理的に補充して解釈を要することは勿論であり、従つて本件仮処分決定を解釈する上においても、かような考え方を必要とする。してみると、之を解釈するに付て、抗告人の主張するように、建物の使用を許容された仮処分債務者の職業と全く無関係に、一率に現状変更の有無を決することも、相当でないと解すべきである。ところで原審における検証の結果及び証人木村良修の証言に依ると、本件建物は神戸市元町通りの繁華街に面し、被抗告人は之を以て従前よりすし屋営業をしていたことは明かであるから、仮処分決定が現状不変更を条件としながらも、債務者に使用を許したことは、当然右営業の継続を認容したものと解しなければならない。又成立に争のない乙第一号証及び原審における被抗告人代表者豊津貞蔵本人の供述によると、同人は仮処分の執行を受けて一応工事を中止した上、執行吏に対し営業継続のため、什器カウンターを移動式とし、壁は紙仕上げですませることにより営業の再開の許可を受け、次で所轄保健所に営業設備変更の届出をしたところ、公衆衛生の点より、調理場に限り防じん、防水、完全排水の工事をしなければ、食品衛生法第二〇条に基く営業上の施設基準に合致しないため、改善の上再届出を要するとの理由を以て届書を返戻されたことが認められる。このような状況の下においては、保健所に於て右届書の受理されるための、すし屋営業上必要な最小限の工事をなすことをも許さぬものと解することは、仮処分債務者に著しい苦痛を与えるものであり、現状不変更を条件として債務者の使用を許した仮処分決定の趣旨に背馳する結果を生ずるわけである。従つてかような場合には右のごとき最小限度の工事の施行を許容する旨を仮処分決定の主文に明示することによつて全く疑問の余地を残さないことが最も望ましいところであることは謂うまでもないが、之を欠いたとしても、仮処分決定全体を合理的に解釈することにより、同一の結論に到達するのであり、敢て債務者より仮処分異議或は特別の事情による仮処分の取消の手続をとることを必要とするものではないと解する。

更に抗告の趣旨中には、本件家屋に対する債務者の使用を禁止することをも求めているが、之は本件仮処分決定の執行処分として求めることのできる取毀命令の範囲を明かに逸脱する事項の申立であつて、到底許容できないところである。

以上の次第により本件抗告の理由はすべて失当であつて、採用できないところであり、その他本件記録を精査し、原決定の内容を検討するも、原決定が抗告の趣旨に列記した申立を許容しなかつたこと、並に壁及び陳列台のあとに、紙仕上げ、及び格子の設置をすることを許容した判断には何等違法の廉がない。

仍て本件抗告を理由がないものとして、棄却すべきものとし、民事訴訟法第四一四条第三八四条第八九条を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 加納実 裁判官 沢井種雄 裁判官 加藤孝之)

抗告の趣旨及び理由

趣旨

原決定を破棄する。

原決定別紙目録家屋に対する債務者の使用を禁止する。

債務者が昭和三四年八月二九日以降別紙目録家屋の階下の内部に施した左記模様替工事による変更部分を取毀ち撤去せよ。

左記

(1)  天井白壁

(2)  土間タイル張

(3)  東壁面及北壁面(但通路より東側)

腰(地面より高五尺五寸まで)の白タイル張腰より天井までの間の白壁

(4)  西壁面及北壁面(但通路より西側)

地面より高一尺までの面の褐色タイル張

腰(タイル張より上へ七尺の間)のデコラ張

腰より天井までの間のベニヤ板及その上の「シケ」張

(5)  ガラス陳列(表入口東側)

格子(〃西側)

(6)  カウンター(ケヤキ板巾一尺長三五尺、塗板巾七寸長三五尺)

調理台(白タイル張巾一尺九寸長三五尺)

(7)  木製ガラス戸付食器棚(東側四ケ西側一ケ何れも壁に取付)

(8)  白タイル張洗場(東側壁取付六ケ所)

(9)  電気、ガス、水道設備

理由

一、原決定は仮処分命令の解釈を誤り、その効力を違法に奪い去つたものである。

原決定はその理由中において、

「本件仮処分命令について考えるに、右命令が債務者のすし屋営業の継続を認めることを前提として発せられたものと解せられることは、現状不変更を条件として債務者に本件建物の使用を許すべきことを執行吏に命じている点より明らかである。従つて、右営業に必要な最少限度の施工は、たとえ、外形的には命令に違反していても、債権者においてこれを受忍すべきものであつて、これをいいかえると、本件仮処分の現状不変更の文言や模様替工事禁止命令も前記限度をこえるものを禁止する旨に解釈するのを相当とする。」

と仮処分命令の効力に対する判断を示している。

しかしながら、およそ裁判の効力は、その主文に客観的に明確に示されるところに従い自ら画定さるべきものであり、就中執行力を伴う裁判にあつては、私人の生活関係に端的に干渉するものであるが故に、その要請は特に厳格であるといわねばならない。裁判がその主文に示されるところでなく当該裁判官の単なる内心の意図に従つてその効力をもち、或いは執行吏の主観のみに従つて執行されるものであるならば、法的安全は根底より覆されること明らかだからである。そして、仮処分命令は一般に執行力を有し、しかもその内容の多様性の故に、本案判決に比してその主文の構成に技術的な困難が伴い勝であることは否定できない事実である。更に仮処分事件にあつては、両当事者の利害が最も尖鋭に衝突する状態にあるため、仮処分の効力をめぐつて更に紛争激化の事態を招来する事例も少しとはしないのである。

従つて仮処分命令の主文を疑問の余地がないまでに明確に構成すること、及び主文の内容をその客観的表現に従い厳格に解釈すべきことの要請は、特に強いものがあるといわねばならないのであり、さればこそ裁判所においても仮処分命令主文の表現には非常な苦心が続けられているのである。

ところで、本件における仮処分命令は、一般に不動産の現状維持仮処分と称されるものであつて、仮処分命令中最も定型化されたものであることはいうまでもない。この定型化は裁判所における苦心の結晶であり、その主文の表現には不動の効力内容が盛られていることは、仮処分実務上何人も疑い得ないところである。すなわちその効力内容は、建物を執行吏保管下におき、債務者に建物の現状変更を絶対に禁止し、その制約の下に使用を許可することにつきるのである。(仮処分決定第一、二項)従つて本件において債務者に許される使用は、あくまでも建物の「現状を変更しないこと」を絶対の条件とするものであつて、原決定のいうが如き「すし屋営業に必要な最少限度の施工」を許したものと解すべき余地は存しない。現状を変更しないままの使用によつて「すし屋営業の継続」が可能ならば、その営業継続が仮処分命令によつて許された範囲内における使用として認められるに過ぎないのであつて、「現状を変更しないこと」の条件が「すし屋営業に必要な最少限度の変更」を除外したものと解すべき根拠は、その主文の何処にも示されていないのである。そのように解するためには、少くとも本件仮処分決定の主文第二項に、

「債務者の申出があるときは、執行吏は、すし屋営業に必要な最少限度の応急工事を除き現状を変更しないことを条件として、債務者にその使用を許さなければならない。」

とあるか、或いは、

「債務者は、執行吏の許可を得て、右建物のうち店舗の一階部分をすし屋営業に使用するため必要な最少限度の応急工事をすることができる。」

という別項が付せられていなければならいであろう。たまたま、債務者がすし屋営業を目的とする会社であるという一事で、原決定の如き解釈を下すことは許されない。

若し該仮処分命令により、現状変更が禁止されたため事実上すし屋営業が不可能となることが不都合なのであれば、債務者より仮処分の内容の不当を理由として異議を申立て、或いは異常損害を理由として特別事情による取消を申立てる等の方法により、仮処分命令の取消変更を求めるべきであつて、これによらずして、客観的に定められた仮処分命令の効力内容を恣意的に解釈することは絶対に許されないのである。

のみならず、本件仮処分命令はその末項に、

「債務者は、右建物のうち店舗の一階部分に現在施工中の模様替工事を中止すべく、これを続行してはならない。」

という条項が明記されているのであつて、その工事中止命令は無条件のものであり「すし屋営業に必要な最少限の工事」を除外する文言はどこにも存しないのである。

すなわち本件仮処分命令には、「すし屋営業に必要な最少限度の工事」を認める条項が存しないに止まらず、明らかにすべての工事続行を禁止する条項が付せられているのである。

右の如き「最少限度の工事」が許されるためには、「債務者は、右建物中店舗の一階部分に現在施行中の模様替工事のうち、すし屋営業に必要な最少限度の応急工事を除き、その余の工事を中止すべく、これを続行してはならない。」という条項が存しなければならないことは、いうまでもないであろう。ここに至つて、原決定のなした本件仮処分命令の解釈は誤れるも甚だしいことは一目瞭然といわねばならない。(なお、菊井・村松「仮差押・仮処分」の文例五三-四七七頁、同文例五六-二二八頁、柳川編「仮処分の実態」二八二頁等に掲げられた仮処分主文例は以上の主張を裏付けるものである。)

原決定はかくの如く誤つた見解に基き、債務者のなした仮処分違反工事の主要部分を許容し、仮処分をなした目的の大半を喪失せしめ債権者の権利を違法に奪い去つたものであるから、その是正を求めるため、本抗告に及んだ次第である。

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